私は、妻と出会うまで、出会う人々を信用できずに生きてきました。
過去を振り返ると
中学生の時は、いじめられていました。授業なんて頭に入らず、なぜ自分はいじめられるのかずっと悩んでいました。
部活では、先輩と後輩からもいじめられていました。理不尽に暴力を受けていました。
しかし、部活に行かないと顧問から罰を受けるので行っていました。
毎日何もないことを祈りながら。。。
教師に相談しても、放置されていました。それどころか、責められたので人を頼る気もおきなくなりました。
教室では、休み時間になると他の人はおしゃべりや遊んだりしていますが、起きていて少しでも目立つとアザができるほどつねられたりしたりするので、寝たふりをしていました。
持ち物は見張っていないと、教室にばらまかれるか隠されます。教科書を外に投げ捨てられた時もありました。教師は泣いている私に取りにいかせました。今思い返すと大人も腐ってると思いました。いじめられているときは、なぜいじめられているかわからないので、自分に原因を探していました。自分が悪かったと納得しないと、耐えられなくなると感じていたからだと思います。
友達はおらず、毎日一人で帰宅していました。
私の父親は最低というかキチガイで、私が中学生になるまで、父の帰りが怖くて眠れないほどでした。お酒を飲んで帰ってきて暴れるし、警察沙汰まで数回起こしていました。
しらふでも、何をするかわからないような異様な雰囲気を持っていました。自分の子供でもおかまいなく暴力を振るいます。家族を病院(集中治療室)送りにしても反省しないような人間です。
そんな父と中学1年まで一緒に生活していて、母がやっと離婚してくれて、恐怖から解放されたかと思ったら、転校先でのいじめです。母も工事現場などで肉体労働をして頑張っていたので、学校も我慢しながらというか、行くしか自分には選択肢がありませんでした。
近づいてくる人は
学校でも社会でも近づいてくるのは宗教に入っている人でした。私は断るということができない性格に育ってきたので、優しくしてくれる人の宗教には、色々入ってしまいました。
しかし、どの人もはじめのうちは優しいですが、宗教に入ってしまえば、豹変とまではいきませんが、周りの人と同じです。
私には、勉強しても信仰心をもつことなどできませんでした。
キリスト教をはじめ他にも3つの宗教を経験しています。有名なところばかりだと思います。
どの宗教も、根本には人を幸せにするためという考えを持っているようですが、集団になるからか、おかしなルールや行動が目立ちます。私から見ると狂っているとしか思えません。キリスト教以外は、どこも信者を集めることが一番の目的のように感じました。
私のように弱い人間をみつけては、声をかけているのだと思います。
活動的には、お経を唱えたり、悩みを相談しあったり、人のお宅に家庭訪問に行ったりするなどです、どれも無駄だと思いましたし、人の迷惑も考えずに行動することに何の価値があるかと疑問に思いました。疑問をなげかけても、反論され、すべて正当化されるので、この人達は洗脳されてしまっているんだなと思いました。
私が大事だと思うこと
①強いものが弱いものをいじめないということ
力を持っている人が、弱いものをいじめたり、搾取しているように感じます。これがなくならない限り、全員が幸せになることはないと思います。
②自分の欲のために人に害をあたえないこと
宗教でも何でも、結局自分の欲のために動くから人に害を与えるのだと思います。自分の考えを人に押し付けるような宗教では、人を幸せにすることはできないと思います。
色々書きたいことはありますが、今日はこのぐらいにしたいと思います。
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